いろいろ変なこと言ってたり。
例えば死期が間近に迫った人の手を握ってあげる。もう手の施しようがないのだけれども、手をしっかり握ってあげて、頑張れ、頑張れ!と声を掛けてあげる。医学的には何の意味もないことかもしれない。無駄な事かもしれないが、藁をも掴む想いで、奇跡を祈りながら、少しでも安らぎを与えてあげようと努力しようとする。これが人間の本来持つ「優しさ」だと思う。つまり、結果に価値があるんじゃなくて、行為に価値がある。また、生き物の「いのち」は功利主義のように定量化できるものじゃない。ネコのいのちよりヒトのいのちだろ!などというのは凡そ人間的ではない。また、どこぞの哲学業者(サンデル某)などのように、危急的な状況下で6人のいのちの為に1人を殺すのは良いのか悪いかなどという無意味な問いにも人間らしさがない。その時その時の、本能的な決断によって生じた結果など、善か悪か問うたところで何になるのだ。咄嗟の判断、本能的、反射的判断というものに、ハーバード大の講義でじっくり思考するほどの時間的猶予は与えられていないのだ。真に尊きものは、人間の本能によって引き起こされる行為そのものである。
すごく難しい言葉が並んでますが、大体自分と同じことを思っておられるようです;;;日本中の人があなたと同じように思えばもうちょっと世の中明るくなると思うんですけどね
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2 コメント:
例えば死期が間近に迫った人の手を握ってあげる。
もう手の施しようがないのだけれども、
手をしっかり握ってあげて、頑張れ、頑張れ!と声を掛けてあげる。
医学的には何の意味もないことかもしれない。
無駄な事かもしれないが、藁をも掴む想いで、
奇跡を祈りながら、少しでも安らぎを与えてあげようと努力しようとする。これが人間の本来持つ「優しさ」だと思う。つまり、結果に価値があるんじゃなくて、行為に価値がある。
また、生き物の「いのち」は功利主義のように定量化できるものじゃない。ネコのいのちよりヒトのいのちだろ!などというのは凡そ人間的ではない。また、どこぞの哲学業者(サンデル某)などのように、危急的な状況下で6人のいのちの為に1人を殺すのは良いのか悪いかなどという無意味な問いにも人間らしさがない。
その時その時の、本能的な決断によって生じた結果など、
善か悪か問うたところで何になるのだ。咄嗟の判断、本能的、反射的判断というものに、ハーバード大の講義でじっくり思考するほどの時間的猶予は与えられていないのだ。
真に尊きものは、人間の本能によって引き起こされる行為そのものである。
すごく難しい言葉が並んでますが、大体自分と同じことを思っておられるようです;;;
日本中の人があなたと同じように思えばもうちょっと世の中明るくなると思うんですけどね
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